『駒井鵞静遺墨百選』 に出会えたことに感謝
岩 浪 健 一 
 
 本格的に書を志して既に20年が経過しているというのに、私は駒井鵞静という人を全く見落としていた事を深く反省している。名前は勿論知っていたが作品を全く見ていなかったのだ。
 学生時代、「駒井鵞静など取沙汰するほどのものでもない」などの言葉を信じ、自分で確かめもせずに今日に至った事に己の至らなさを痛感する。
 そしてかくの如き偉大な書人がなぜ今日もそれほど大きく取り上げられずに居るのか、世の趨勢というものの脆弱さに怒りを覚えたのは私だけではないであろう。
 その時々の心情と言葉の選び方に非常に敏感であり、常に一般大衆にも意識が開かれ、鑑賞者が感情移入しやすい言葉を選んでいるにもかかわらず、今日巷に流布されるいわゆる「癒しの書」のように下品で低調なものにならないのは、表現しようとするところが正しく「書」であるからなのだろう。
 それは巻頭に掲げられた鉛筆書きのメモ、
 
 
   私は建てるように書いた。
   私は彫るように書いた。
   私は造るように書いた。
   挑みつづけただけだった。

を見れば一目瞭然だ。
 個性や感情表現に重きを置き、悪戯に表現主義ばかりを標榜することなく、文字そのものをいとおしみつつ掌で優しく造り上げていく。
 我々が今一度帰るべきところはここにあるのではないだろうか。
 さて選りすぐりの百選、その表現方法の多彩さに先ず驚き、文字の確かさに驚き、そして新しいものに果敢に挑む精神に驚く。
 一見『魑魅魍魎』などをはじめとするダイナミックでエネルギッシュな作品に目を奪われてしまいがちだが、かたや仮名の美しさには、胸を焦すほどのたおやかな線と、驚異的な空間掌握に完全にやられてしまった。
 昨今の俗悪な「汚書」に埋もれながらも、ここにこうして百選を目の当たりに出来る幸福は何にも替えがたい。
 今風のお気楽おセンチメンタリズムに、大衆の目ばかり意識した「分かりやすい書」から較べれば、何とも難解な部分もあるのかもしれないが、この歳になってこんなに素晴らしい書に出会えたことを一体何に感謝しよう。
 
いわなみ けんいち(希夷齋)・篆刻家