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駒井さんとその書
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中 野 北 溟
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己の個性は何なのか。と、いつも問いつづけているのが駒井鵞静さんだと思う。鵞静さんは一生けんめいに書く。全霊をふりしぼって書く。書いては安心し、また書いては不安がる。ついには、鵞静さんの筆に詩が息づく。だから、その筆あとからは地下水音が聞こえてくる。私は共鳴する。 三十年ばかりも前になろうか、駒井さんが「手書き詩集」を一冊にしたことがあった。言うまでもなく肉筆のそれで、その序を私の言葉で、ということだったので、己の至らなさを省みぬまま、私は右のような意味の一文を添えさせてもらった。 駒井さんは、私よりも一つ年かさの大正十一年生まれで、年齢の近い故もあってか、通じ合うことが多く、顔を合わせては決まって書作のありようなどについて語ったものである。 その駒井さんが、突然、これまでつづけていた書壇での活動のすべてを脱ぎ捨てて、敢然と一人旅に出たのが昭和五十年代の半ばだったと思う。己の中に生きようとする駒井さんの並々ならぬその健気さに驚くとともに、潔い態度や意気ごみに、今もって敬服する私である。駒井さんの書には、やっぱり、妥協を許さぬ人間のもう一つ深いところにある力、それが溢れているのだ、と、思わざるを得ない。「いいものはいいのだ」とする駒井さんだったので、信頼するお弟子さんと二人展をするなど、私は、駒井さんの溢れるような人間味に強く打たれる。人の奥にまで届いてくる作品というものは、真正直に筆に生きようとする、そういう行為の中に蔵されているものなのではないか。駒井さんにはそれがある。 平成十六年、駒井さんは八十二歳で亡くなられた。この夏に刊行される『駒井鵞静遺墨百選』には、田宮文平先生による評論が添えられている。高いところで把えられた駒井さんが、時代と人間躍動の相関の中で、しかと位置づけられ、ほかに、駒井さんの高弟の渡部大語氏が、遺墨百点のその一つひとつについて、まことに興味深い解説を施されている。もえあがるような駒井さんの書作が、お二方に抱かれるようにして、なおも大きく息づいているのだから、深い親しみを覚える一冊となっている。この一冊、まさしく駒井さんの書業、その生きざまが輝かしく写し出されているに違いない。 巻頭に組み込まれた駒井さんの鉛筆書きのメモがある。 私は建てるように書いた。 私は彫るように書いた。 私は造るように書いた。 挑みつづけただけだった。 尊いではないか。すばらしいことではないか。ひたすらに生きつづけた駒井さんの、この高ぶりと制作行為こそ、「現代の書とは」の命題に試行錯誤している私共を、目覚めさせてくれる大きな力になるに違いない、と思うばかりである。 |
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なかの ほくめい 創玄書道会会長/毎日書道会常任顧問
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